川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

絵踏 437 長尾景春

朝、海沿いを走ってきました。シャワーを浴びて体重を測ったら54.8kgと先週より0.3kg減っていました。嫁さんは無事に受験票を手に入れました。

「日本史1200人」437 長尾景春(カゲハル;1443〜1514)

白井長尾氏5代当主、戦国武将。北条早雲と並ぶ下克上の雄の一人である。30歳の時に父・景信が死去すると白井長尾家を継ぐが、当主・上杉顕定の家宰の地位は叔父の長尾忠景が継ぐこととなった。景春はこれに不満を抱き反乱を決意し1477年には顕定軍をおおいに破ったが、扇谷上杉家宰・太田道灌が攻め込んで来たため、古河公方足利成氏の下に逃れた。1486年に道灌が暗殺されると、上杉定正に加担して顕定と戦うが、成氏が顕定と和睦した。あくまでも顕定と戦おうとする景春と、成氏に従って和睦しようとする嫡男・景英が対立し、最終的には景英は顕定から白井長尾家の当主に取り立てられ、景春は当主の座を追われた。1510年、出家した景春であるが、顕定が同族の長尾為景を討つために越後に出兵すると、為景や北条早雲と同盟を結び挙兵した。しかし城を追われ、駿河国・今川氏の下で亡命生活を送った。

「恒例の絵踏ニヤリと顕定め 長尾景春 に 端遊」

絵踏が2月の季語です。本来はキリスト教を禁じるための踏絵のことですが、いつもの顕定を踏みつける景春の夢です・・・景春が数十年にわたって反乱を続けたことは、関東における上杉氏の勢力を大いに衰退させました。早雲は景春を「武略・知略に優れた勇士」として賞賛したといいます。

習字は、「恒例の」はサラリと、「絵踏ニヤリと」は強く、「顕定め」は弱く、というつもりで書きました。


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