川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

挿木 463 諏訪頼重

朝、雨が降っていたのでランは休みました。嫁さんはパソコンの勉強を始めました。カタカナ文字に四苦八苦のようです。

「日本史1200人」463 諏訪頼重(ヨリシゲ;1516〜1542)

信濃国戦国大名諏訪氏・第19代当主、武田勝頼の外祖父。23歳で諏訪家の家督を継いだ。諏訪氏は甲斐の武田氏と抗争していたが、1535年に武田信虎と諏訪頼満は和睦し婚姻関係を結んでいた。1542年には嫡男・寅王が生まれている。しかし、信虎が追放され武田信玄が国主となると諏訪郡への侵攻を開始した。頼重は桑原城で降伏した後、弟の頼高と共に武田氏の本拠である甲府に連行され、東光寺で自刃した。「おのつから かれはてにけり 草のはの 主あらはこそ 又もむすはめ」の辞世の歌を残したと伝わる。頼高も自刃し、諏訪惣領家は滅亡した。

「疾すぎる!挿木もなにも断絶じゃ 諏訪頼重 に 端遊」

挿木が3月の季語です。親木から切り取った枝を直接土に挿して根付かせる方法です。疾すぎて(「疾きこと風の如く」より)、嫡男・寅王を根付かせる間もなく、お家は断絶です・・・信玄の四男で諏訪御料人との間に生まれた勝頼が諏訪姓を名乗り名跡を継いでいますが、これは名目的なものと考えられています。寅王の最後は不明です。

習字は、「疾すぎる!」は強く、「挿木もなにも」はそれなりに、「断絶じゃ」は断絶のように、というつもりで書きました。


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