川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の果て 472 斎藤義龍

朝、雨が降っていたので、ランは午後にしようと思っています。昨日は与那国島で出会った友達と楽しく皇居のお花見をしました。

「日本史1200人」472 斎藤義龍(ヨシタツ;1527〜1561)

美濃国戦国大名。道三の子であるが、土岐頼芸の子ともいわれる。1554年、道三が隠居したため、家督を継いだとされる。その後、道三は義龍を「耄者ホレモノ;愚か者の意」と断じ、「利口者」の孫四郎や喜平次らを溺愛するようになる。ついには道三が孫四郎を嫡子にしようとしたため、義龍は叔父と共謀して孫四郎・喜平次らをおびき出して殺害した。道三は大桑城に逃走し、長良川にて対峙したが、道三を支持する勢力は少なく、討ち果たした。織田信長が道三を救援に来たが間に合わなかった。尾張織田家との戦闘が続く中で病死した。辞世は「三十余年、守護天入、刹那一句、仏祖不伝」である。

「春の果てどうせ耄者(ホレモノ)父殺し 斎藤義龍 に 端遊」

春の果てが4月の季語です。春を“家督を次ぐまでの道三・義龍親子”と見立てました・・・義龍の父親は道三だと認めている第三者の手紙があり、義龍は父殺しの汚名を避けるためか、足利氏の一門である一色氏を称して、一色左京大夫と名乗りました。

習字は、「春の果て」は弱く、「どうせ耄者」は叫ぶように、「父殺し」は狂ったように、というつもりで書きました。


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