川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

菖蒲湯 504 宍戸隆家

朝、風邪気味だったので、ルルを飲んで二度寝しました。午後から走ろうと思っています。

「日本史1200人」504 宍戸隆家(タカイエ;1518〜1592)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、安芸国五龍城の国人領主・宍戸氏当主。1537年に父・宍戸元家が死去し家督を継ぎ、1541年に毛利元就の次女・五龍局を妻として毛利氏の一門衆となった。娘婿である隆家は元就に重用され、転戦して活躍し三人の息子と同様に遇せられた。やがて、隆家は元就から孫の輝元に娘を嫁がせるよう依頼を受けた。家臣からは一家臣の娘を将来の当主に嫁がせることに強い反対意見が出ていたが、元就はその意見を押し切ってこの婚姻を実現させた。輝元時代になっても隆家は従軍した。一方で、軍事的には毛利氏中枢の一角を占めた隆家であったが、政治的には運営に携わることは無かった。

「菖蒲湯に孫を抱いて無骨者 宍戸隆家 に 端遊」

菖蒲湯が5月の季語です。端午の節句に菖蒲の葉や根を入れて沸かす風呂で、邪気を払い、病気を防いでくれます。政治に関わらず、ただ戦った隆家は無骨者です・・・毛利氏に忠節を尽くした宍戸氏は、江戸時代において萩藩(長州藩)の一門筆頭とされました。隆家の居城・五龍城跡は国の史跡に指定されています。

習字は、「菖蒲♨に」はサラリと、「孫を抱いて」は優しく、「無骨者」は不器用に、というつもりで書きました。


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