川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

水黽(アメンボウ) 517 大友宗麟

朝、善福寺川沿いを走ってきました。ボニージャックスの日本の唱歌を聞きながら走ると疲れを忘れました。歳かな・・・

「日本史1200人」517 大友宗麟(ソウリン;1530〜1587)

本名・義鎮(ヨシシゲ)は、戦国から安土桃山時代の武将・大名、大友氏21代当主。20歳の頃、父の義鑑は義鎮の廃嫡を企んだが、義鎮派の反撃により義鎮が当主となった。1551年に周防国大内義隆が家臣の謀反により自害すると、筑前博多の支配権を得て多大な利益を得た。さらに、足利義輝に多大な献金をして九州探題に補任され、大友氏に逆らう者は将軍の敵とし、名実共に九州における最大版図を築き上げた。しかし、1568年に将軍が弟の足利義昭となり、毛利氏や島津氏らによって次第に領土を失っていった。1584年、豊臣秀吉に救援を求め、この九州征伐により他大名が降伏したことで滅亡を免れたが、ほぼ同時に宗麟自身が病没した。

「盛衰を他力でス〜イ水黽(アメンボウ) 大友宗麟 に 端遊」

水黽(アメンボウ)が6月の季語です。飴坊・水馬とも書きます。池や小川を水面張力でス〜イと走り回ります。将軍・キリスト・秀吉と何だか他力が好きかな・・・宗麟は49歳で洗礼を受け少年使節をローマ法皇のもとへ送るなど、キリスト教を保護しました。同時に西洋の文化や兵器を取り入れようと貿易にも力をいれました。

習字は、「盛衰を」はスッキリと、「他力でス〜イ」はそれなりに、「水黽」はとぼけて、というつもりで書きました。


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