川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

蟻地獄 518 大友義鑑

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨日の与那国島ハーリーは我が南組が総合優勝したとのことで、本当にビックリ!バンザイ!でした。

「日本史1200人」518 大友義鑑(ヨシアキ;1502〜1550)

戦国時代の大名、豊後国大友氏・20代当主、大友宗麟の父。1515年、父の隠居により20代当主となり、積極的な領土拡大に乗り出した。大勢力のいない肥後国を狙い、弟を養子として送り込もうとした。しかし、弟は義鑑と折り合いが悪く、遂には骨肉の争いを繰り広げた。さらに大内義隆の侵攻も受けたが、1538年に将軍・足利義晴の仲介を受けて和睦し、将軍家と緊密な関係を維持した。1550年、義鑑は粗暴で人望も薄い嫡男・義鎮より、溺愛している三男・塩市丸に家督を譲ろうとした。そのため寵臣の入田親誠と共謀して、義鎮派の家臣を次々と殺害していく暴挙に至った。しかし、義鎮派家臣の逆襲を受け、塩市丸とその母は殺害され、義鑑も瀕死の重傷を負い2日後に死亡した。

「愛したらニヤリぐさりと蟻地獄 大友義鑑 に 端遊」

蟻地獄が6月の季語です。砂地にすり鉢状の穴を掘り、落ちてきた蟻や蜘蛛の体液を吸います。転じて、もがいても抜け出せない苦しみを言います。塩市丸だけでなく寵臣も問題だな・・・義鑑は死の間際に置文を遺しており、最終的には義鑑も義鎮の家督相続を認めています。通説では義鎮は無関係といわれていますが、近年では関与していた可能性が高いとされます。

習字は、「愛したら」は不気味に、「ニヤリぐさりと」は強く、「蟻地獄」はそれなりに、というつもりで書きました。


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