川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

蟻の道 523 島津貴久

昨日の最終便で島に帰ってきました。ザッと床掃除をしてから、隣の舟屋にハーリー優勝のお祝いを持って行きました。今日の朝は、海岸沿いを走ってきました。バイクが2台とも動かないので、整備工場に持っていってもらう手配をし、午後はバスで隣町に行く予定です。

「日本史1200人」523 島津貴久(タカヒサ;1514〜1571)

戦国時代の武将、薩摩国守護大名、島津氏・第15代当主。14代当主・島津勝久は若年のため、1526年に勝久の養子となって宗家の家督を継いだ。当時、薩摩は有力国人衆が多く、また同族の島津実久も立ちふさがったが、これらを征討してさらに進軍し、薩摩半島を平定した。1554年、島津氏に降伏した肝付氏が国人衆に攻撃されると参戦して勝利し、大隅半島西部へも勢力を広げ、領土拡大の足掛かりにすることができた。貴久は薩摩・大隅・日向の「三州」所領の悲願を義久ら息子たちに託し、1566年に僧となって隠居したが、後に肝付氏との抗争が起こり、その最中に病没した。明や琉球と交易するなど、外交政策にも積極的だった。

「蟻の道目指せ三州僧が夢 島津貴久 に 端遊」

蟻の道が6月の季語です。隊列を作って一本の筋となった道です。長い年月戦った島津軍の隊列です・・・鉄炮種子島氏より献上されると数年後には実戦で利用しています。史料上初めて使用した戦国大名は貴久であるとされ、入来院氏との戦いが初見とされています。

習字は、「蟻の道」は小さく、「目指せ三州」はだんだん大きく、「僧が夢」はサラリと、というつもりで書きました。


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