川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

老鶯 524 島津義久

朝、海岸沿いを走ってきました。湿気が高くて、何をするにも気合が必要です。嫁さんはイラストレイターに四苦八苦のようです。

「日本史1200人」524 島津義久(ヨシヒサ;1533〜1611)

戦国から安土桃山時代の武将、薩摩国守護大名、島津氏第16代当主。島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧した。その後も耳川の戦いにおいて九州最大の戦国大名・大友氏に大勝し、また沖田畷の戦いでは強大な龍造寺氏を撃ち破った。義久は優秀な3人の弟(義弘・歳久・家久)と共に、一時は九州の大半を手中に収め、島津氏の最大版図を築いた。しかし、豊臣秀吉九州征伐を受け降伏し、本領である薩摩・大隅と日向諸県郡を安堵された。さらに豊臣政権・関ヶ原の戦い・徳川政権を生き抜き、隠居後も家中に強い政治力を持ち続けた。徳川家康は義久を「楠木正成に勝るとも劣らない采配ぶり」と感心したという。

「老鶯の声朗々と采を振り 島津義久 に 端遊」

老鶯が6月の季語です。夏の鶯で、美しい声で鳴きます。隠居後も強力な采配を振るった義久に掛けました・・・「大日本農功伝」によると、南九州のシラス台地にタバコの生産を奨励したのは義久とされます。タバコは薩摩藩の貴重な財源になりました。

習字は、「老鶯の」は楽しく、「声朗々と」は明るく、「采を振り」はスッキリと、というつもりで書きました。
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