川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春寒し 95 藤原頼道

 朝、ロングランをして来ました。足が重いなァ〜と走り出したら、自衛隊さんが軽い足取りで抜いて行きました。で、僕は目標があると走れるので約3.5kmの片道を何とか付いて行きました。帰りはゆっくり走って来ました。昨日、第95番の藤原頼道が抜けているのに気づいたので、今日載せることにしました。

「日本史1200人」の第95番の藤原頼道(992〜1074)です。

父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、父の死後は後朱雀天皇後冷泉天皇の治世に、関白を50年に亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。しかし、刀伊の入寇平忠常の乱・前九年の役など戦乱が相次ぎ、子に恵まれず、直接の血縁がない後三条天皇が即位するなど藤原家の権勢は衰退へ向かい、やがて院政と武士の台頭を招くことになる。

「子宝を指を咥えて春寒し 藤原頼道 に感じて」

春寒しが2月の季語です。春だというのにまだ寒い。頼道は関白で、嫁さんは綺麗で、我が世の春なのに、子には恵まれず、これがズ〜っと尾を引いていきます。1052年には道長の別荘であった宇治殿を、現代に残る壮麗な平等院鳳凰堂に改修しました。

習字は、「子宝を」は豊かに子供らしく、「指を咥えて」は羨ましげにクネクネと、「春寒し」は春を逃したように、というつもりで書きました。チョッとバラバラ感があります。


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