川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

草相撲 94 コンモドゥス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。久しぶりに左膝にサポーターをしたので、行きは片足を引きずる感じがして、疲れました。幸い帰りは慣れて、気にしないで走ることができました。

「世界史1200人」94 コンモドゥス(161〜192)

マルクス・アウレリウス・アントニヌスの子。父アウレリウスはコンモドゥスの教育を自ら手がけ、博学な知識を生かして様々な学問について息子に教えた。父の死後、しばらくコンモドゥスドナウ川軍団の総司令官として前線に留まりつつ、際限のない蛮族との戦いを終わらせるための講和を模索した。即位から暫くは重臣と協力して統治を行っていたが、次第に貴族達の堕落した生活に毒されていった。そして、治世が大きく狂い始めるのは家庭内の不和によるところが大きかった。ある時、劇場を訪れた皇帝の姉ルキッラは、后妃に皇帝の隣席を譲るように促され屈辱を感じ、弟の暗殺と帝位簒奪を計画する。暗殺は失敗に終わり、暗殺者2人は処刑され、姉はカプリ島への流刑とされた。しかしコンモドゥスによる粛清は厳しく、無関係の者も含めて大勢の貴族や将軍が処刑された。以後、腹心の増長と裏切りなどもあり、闘技や見世物などに熱中したり、自らを神格化したりして暴虐帝と称されるようになり、最期は暗殺された。

「草相撲暴虐帝の幼な顔 コンモドゥス に 端遊」

草相撲が9月の季語です。コンモドゥスは並外れて闘技が強かったそうで、小さい頃に草相撲をして笑っていた暴虐帝をイメージしました。・・・それで、近衛兵による暗殺は難しかったようで、ワインに毒薬を入れて毒殺が試みられました。飲み干してコンモドゥスはしばらくは平然としていましたが、突然に毒に気づいてワインを吐き出しました。彼は食事の前に必ず解毒剤を一緒に飲むので、致命的には至らなかったのです。慌てた重臣たちは、護衛の剣闘士ナルキッソスを差し向け、絞殺させました。

習字は「草相撲」は幼く、「暴虐帝の」は特に「暴」を激しく、「幼な顔」はサラリと、というつもりで書きました。


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