川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

寒雀 193 源義平

 朝、一人で海沿いを走って来ました。朝から晴れて、久しぶりに日差しを眩しく感じながら走りました。帰ると、嫁さんが今年最初の、習字指導に小学校に行くところでした。

「日本史1200人」193 源義平(1141〜1160)

源義朝の長男。15歳で叔父の義賢を討ち「悪源太」と呼ばれた。平治の乱で義朝は東国にいる義平に援軍を要請した。義平と坂東武者17騎は平清盛の嫡男・重盛の500騎のど真ん中に飛び込んで戦い、これを蹴散らしてしまうなど、兵力では大幅に平家軍に劣る中にあって奮戦するが敗北した。義朝・義平一行は東国を目指して落ち延びたが、その途中で三弟・頼朝ははぐれて行方不明になり、次弟・朝長は傷が元で落命した。義平は途中で義朝と離れ東国をめざすが、途中で義朝の死を知る。翌年に捕えられ、六条河原において処刑された。

「寒雀串焼き覚悟イザ進め! 源義平 に 端遊」

寒雀(カンスズメ)が1月の季語です。「寒い坂東から来た武者たち」に掛けました。寒中の雀は美味といわれ、よく焼鳥にされました。焼鳥は11月の季語なので串焼きにしました。義平は頭角を現しつつあった源義朝の長男でしたが、次弟・朝長と三弟・頼朝が官位を得たのに対して、官位の記録は残っていません。これには生母(京都郊外の橋本の遊女または三浦義明の娘)の身分が大きく関与していたと見なされています。

習字は、「寒雀」はスッキリと、「串焼き覚悟」は可笑しく、「イザ進め!」は強く、というつもりで書きました。


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