川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

蜃気楼 469 高遠頼継

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨夜は僕も嫁さんも足がつり大変でした。食事と運動で治ればと思っています。

「日本史1200人」469 高遠頼継(ヨリツグ;?〜1552)

戦国武将、甲斐武田氏・家臣、伊那郡高遠城城主。甲斐・武田氏と信濃諏訪氏は同盟していたが、1542年に武田信玄が当主になると、同盟を破棄して諏訪郡へ侵攻した。諏訪惣領家出身の先祖を持つ頼継は武田氏に与して侵攻し、諏訪領の西半分を支配した。諏訪氏惣領を目指す頼継は、さらに武田領へ侵攻したが、敗退して諏訪から退去した。さらに1545年には高遠城も落城し、頼継は武田方に降伏して甲府へ出仕した。高遠城はその後武田氏により改修されたが、1548年に武田方が村上義清との戦いにおいて敗退した。その動揺の中、頼継は甲府から高遠城へ帰城した。その後、再び武田氏に出仕しているが、1552年の下伊那攻めの際に自害させられた。

「涯(ハテ)までじゃニヤリ摑んだ蜃気楼 高遠頼継 に 端遊」

蜃気楼が4月の季語です。大気の気温差と光の屈折によって生じる幻影です。諏訪の涯(ハテ)までが見えたかな・・・頼継に代わって高遠氏・重臣の保科正俊が武田氏に重用されるようになりました。高遠氏は従来、頼継の死去をもって滅亡したと考えられていましたが、信玄四男の勝頼が高遠諏訪家を継いでいたことが指摘されています。

習字は、「涯までじゃ」は願うように、「ニヤリ摑んだ」は強く、「蜃気楼」はふんわりと、というつもりで書きました。


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