川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

薪能 吉川経家

朝、雨なのでランは休みました。僕の毎日はほとんど一人です。島にいる時もそんな感じです。チョッと不思議ですが楽しいです。

「日本史1200人」509 吉川経家(ツネイエ;1547〜1581)

戦国から安土桃山時代にかけての武将、毛利氏の家臣。父とともに石見国の重鎮として国内の安定化に努めた。1581年、羽柴秀吉が侵攻し毛利氏に従属していた鳥取城主・山名豊国が単身降伏したため、文武両道に優れた経家に鳥取城を守備するよう命令が下された。経家は籠城の準備を進めたが、秀吉の密命によって潜入した若狭国の商人によって高値で買い漁られ、兵糧はひと月持つかという状態であった。鳥取城は包囲網により3ヶ月目には餓死者が続出し地獄絵図となった。4ヶ月目を過ぎて経家は城兵の助命を条件に降伏することにした。経家は家臣と暇乞いの盃を交わし、大声で「うちうち稽古もできなかったから、無調法な切りようになろう」と言ってから切腹した。

「運かな と暇乞いして薪能 吉川経家 に 端遊」

薪能(タキギノウ)が5月の季語です。舞台の四方の篝火がさらに能を幽玄にします。経家の切腹は幽玄の世界です・・・自害後、その首は秀吉のもとに届けられました。秀吉は首を見るなり「哀れなる義士かな」と言って男泣きしたと伝わります。

習字は、「運かな と」は静かに、「暇乞いして」はサラリと、「薪能」は強く、というつもりで書きました。


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