川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

雛遊び 107 藤原詮子

 朝、2日続けてロングランをしたので、今日は短めに走りました。嫁さんは今年度最後の習字指導に小学校に行きました。今夜は高校合格者のお祝いに回ります。いつもならご馳走やお酒を頂くのですが、コロナなので玄関先で失礼しようと思っています。

「日本史1200人」の第107番の藤原詮子(センシ962〜1001)です。 

兼家の娘。一条天皇の母。国母として強い発言権をもち、しばしば政治に介入したため、藤原実資に「国母専朝事」と非難された。4歳年下の弟・道長を可愛がって関白に彼を推して、甥の伊周を圧迫し没落に追い込んだのは著名である。その反面、厚い信仰心をもち、真如堂・慈徳寺を建立した。また一条皇后定子が難産で崩御した際も、残された皇女を養育したりもした。

「雛遊び無邪気に首をポッキリね 藤原詮子 に感じて」

雛遊びが3月の季語です。雛人形を飾るなどして遊ぶことです。「お内裏様とお姫様」は天皇・皇后両陛下の人形ですが・・・子供は人形に対して権力者なので、簡単に落したりして首を取ったりします。詮子も子供のように無邪気だったかな・・・ウィキの別の記述では「詮子はかねてより伊周より道長が人柄も資質もはるかに上回ると認めており、道長を強く推した。そして、天皇のためでもあると涙を流して訴えかけ、このために遂に天皇道長の登用を決めたという。」ともあります。

習字は、「雛遊び」はスッキリと、「無邪気に首を」幼く、「ポッキリね」は折れたように、というつもりで書きました。昨日は何枚も書いて疲れたので、三枚目でOK!にしました。


f:id:tanyuu4792:20210310102542j:image