川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

バッタ 423 ケネー

昨日、嫁さんが初めての絵画教室に行き、初めて会った先生から都立工芸高校を紹介してもらいました。夜間の学校で4年間で卒業とのことで、僕も是非にも入学を勧めました。今日の朝は、嫁さんが入学できたらいいなと思いながら、善福寺川沿いを走ってきました。

「世界史1200人」423 ケネー(1694〜1774)

フランス、医師・経済学者。 1752年貴族に列せられるが、50歳代で経済学の研究を志し、土地所有者の資金を農業に投入し、その生産力を高めることが重要であるという観点から、1758年末に簡単な説明をつけた冊子を「経済表」として発表し、重農主義経済学の祖と仰がれた。この豪華版はヴェルサイユ宮殿で印刷され、その数枚は国王の手で手刷りされたと言われている。「経済表」は一見無味乾燥で抽象的であるため、世間の支持はほとんど得られなかったが、信奉者たちからは文字・貨幣と並ぶ3つの偉大な発明品の1つであるとさえいわれた。ケネーのアプローチは、マルクスケインズさらに貨幣供給理論に受け継がれた。

「去れバッタ!経済表のご指摘ぞ ケネー に 端遊」

バッタが10月の季語です。分からないけど、重農主義経済の敵だと思います・・・ケネーの経済学への興味は、フランスが財政破綻に直面した1750年頃に生じました。そして、心臓が血液循環と器官のために特別な重要性を持っているのと同様に、農業が社会と経済の制度に特別な重要性を持っていると考えました。

「去れバッタ」は強弱をつけて、「経済表の」は明るく、「ご指摘ぞ」はすまして、というつもりで書きました。


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